meta-toxical parade!!

私のもとに幸せなどやってこないことを実証していくブログです

毒親コンテンツの可燃性

端的に言う。

 

そのコンテンツから僅かでも女性蔑視を読み取ることができれば、そのコンテンツは燃える。女性差別への反抗のおまけとして、毒親成分も批判される。

 

そのコンテンツを主体的に楽しむ女性が多いなどで、一方的な女性蔑視との断定が明らかに困難な場合、そのコンテンツは「不燃」である。

 

勿論、毒親からのコントロールを受けた人間にとって、コンテンツから受ける精神的苦痛に前者と後者で差異があるということはない。

 

肝に命じておかなければならないのは、前者が燃えたのはあくまで女性差別の文脈に乗せることが可能だったからであり、親の有害性が問題視されたからでは無いということである。

 

俺やお前の味方は何処にも居ない。人間を捨てよう。せいぜい50年うまくやり過ごせば永遠に終わりだ。その中で自分だけは正しかったと証明する必要は無いのだ。人間を過信するな。人間は俺やお前が死んだあとも誤り続ける。「総体としての人間は正しくあろうとするはずであるから、正しいことを主張すべきだ」というのは、人間に対する過信である。俺たちは、内心で嘲笑っておれば良いのだ。