meta-toxical parade!!

私のもとに幸せなどやってこないことを実証していくブログです

フィクションと欲望と当事者性なるもの

結論から述べる。

 

貴方が「登場人物Aから登場人物Bへの行為X」を描いたフィクションを楽しんでいるとき、貴方はXの当事者ではない。

 

貴方が気を付けなければいけないのは、「私はXを好ましく思う」と表明することに関しては、貴方はどうしようもなく当事者である、ということだ。

 

貴方が真に内省しなくてはならないのは、「『Xは好ましい』と不特定多数の人間に向けて発信したこと」のみである。

 

たとえ貴方が行為Xをしたことが無かろうと、あるいは貴方が自分(や、他の人々)は行為Xを誰も傷つけることなく実行することができると自負していようと、それとは全く独立に、貴方の「好感の発信という行為」による影響を受ける人間が存在するということを、常に自覚していなければならない。

 

自分が何の当事者であり、何の当事者でないのかを見誤ることこそ、被害者を増やすことに繋がると私は考えている。