一年の計は元旦にあり
この言葉嫌いなんだ。
元日にした失敗を永遠に引きずれって言われてるみたいでさ。
まあ2018年にはなっちゃったけど元旦ではないから、ということでもう一本ブログを書く。
コンサータについてだ。
ここ数日は、昼頃に意識が戻り、そこから起き上がるのに数時間を要するザマだったので、コンサータを飲まない日が多かった。
今日は、久々にコンサータを飲んだ。
そこでこう思ったのだ。
「コンサータの効力とはどこにあらわれるのであろうか?」
巷ではスマートドラッグみたいな扱いも受けるコンサータであるが、その文脈で語られる場合、コンサータは何か「集中力をエンハンスする」とか、そういう効果を持つもののように解釈される。というか俺もそう思ってた。
だが、果たしてそうか?というのが今日一日を経ての感想である。
コンサータが行うのはむしろ、フィルタリングではないだろうか?
あるいは、情報への感度をむしろ下げるのがコンサータの役割ではないだろうか。
とかく俺のような人間は、ノイズに対する感受性が強い。
人混みに入ると、そこで発生している会話を拾って頭の中でトレースしてしまうのは日常茶飯事だ。
コンサータを飲まなかった日なんぞは、明かりを消してカーテンを締め切った夜の部屋の中で、火災報知器か何かのインジケータの光だけで部屋の中を動くのに事足りることもあった。
コンサータはそういう過敏を抑えているのかもしれない。
「集中力をエンハンスする」というのも、意識が向かう対象を必要十分まで「削る」というのが本質かもしれない。
そんなことを、思っていた。
実際のところどうなのかは知りません!鵜呑みにしないように!