meta-toxical parade!!

私のもとに幸せなどやってこないことを実証していくブログです

人の親と定型発達者にはなりたくない

願い下げだ。

年末年始に帰省して、何か悟ったような気分になっていたが、所詮そんなものは長続きしなかった。まあ、全く変わってないわけでも無かろうが。

俺は、俺を捨てる決断をした。
要するに、俺が俺のまま生きていたところで一生報われることがないどころか、いくら生き続けても恥の上塗りにしかならん。しかしながら死ぬという選択肢もさしあたって取れないため、俺じゃない、真人間に成り代わって生きようというわけである。
俺のように、人格形成途上で累積したストレスの埋め合わせをいつまで経っても求めてしまうバカは他にもいるかもしれないが、まあそんなストレスが本当にあったかどうかは証明のしようがないし、一般的にアラサーになってもそんなことをほざいている人間は憐憫ではなく嘲笑の対象である。

実際、正直に「嘘でもいいから『あなたは悪くない』と言われたい」と親に話したのだが、どうにも真意が伝わらなかったらしい。

(おそらく)母親は俺の言をこう解釈した。
「俺のために、『お前は悪くない』という嘘をついてほしい」と!

はっきり言う。
最悪だ。

次に何が来るだろう。決まっている。「親に嘘まで言わせたのにまだ気がすまないのか、何を求めているのか、他人を振り回すのも大概にしろ」という文句である。

「俺の為を思って」「俺の言うとおりに」「自分を曲げて俺に嘘をついた」のだ。余程大層なことをしたと自分では思っているだろう。だと言うのに、全く心に響く様子がなければ、そういう文句も出るだろう。

もちろん、俺はこう言ったつもりだったのである。
「俺が本当に悪くないかどうかにかかわらず『あなたは悪くない』と心から言ってくれる相手がほしい」

言外に秘めた部分まで言うなら、「お前はその相手として適格ではない」だ。

適格ではないのだから、母親に「お前は悪くない」という嘘をついてもらったところで精神的負荷にしかならんのだが、あちらの自己認識は「当人の最大の理解者、当人に最も寄り添うことができる者」みたいな感じなので、自分こそがこの子を救うことができる、救うべきなのだ、と考えて行動するのである。

こう書いていて、思わず怒りがこみ上げてくる。
思い上がるな。
百歩譲って、お前がそのように行動するのは勝手だ。
だが、許せないのはその行動に見返りを求めているところだ。
自分の思ったとおりの反応が得られないからと言って、俺に文句を言うな。

「理解できない」「私がどれだけ傷ついているか考えてほしい」「世の中はそんなに甘くない」「私はこうだった」「私がすべて悪いと言いたいのだろう」

母親の口癖である。
特に最後。

これはダブルバインド以外の何物でもない。
「そのようなことを言っているのではない」と答えれば「お前の言動は『母親が全て悪い』と言っているようにしか受け取れないのに、なぜ私に嘘をつくのか」
「そうだ」と答えれば「親に対してなんとひどい仕打ちだ、お前は私をどれだけ傷つければ気が済むのだ」
まあ、こんなところか。

こういう物言いをしておいて「自分の人生を生きてほしい」などと言う。
俺はほとんど当惑する。

「お前は『私の望むとおりに生きてほしい』しか言ってないだろう?お前は俺の本音をことごとく否定して、更生させようとしただろう?自分の人生とは、一体何を示しているんだ?」

もちろん、これを素直に口に出してはいけない。
「なんと僻んでいるんだ!私はそんなひどいことを口にした覚えはないのに!」と、更に手のつけられない状態に移行するからである。

しまいにはまともな思考すらできなくなり、「お前はすぐそうやって私が全て私の意のままに子供を操ろうとしていると言い出すのだ!実際意のままになんてなっていないのだから、それは間違いだ!」などと言い出すのである。

書いてて疲れた。寝る。