meta-toxical parade!!

私のもとに幸せなどやってこないことを実証していくブログです

幸せになるために

結局のところ、俺は死に損なったのだ。

例えば、内定を貰ったあたりで自殺していれば、両親はまだ夢を見ることができた。
「これから、うつも治って元気に仕事をして幸せになるところだったのに」と。
そんなことはありゃしないのだが。

例えば、心療内科に通い始める前に自殺していれば、両親はもう完全に悲劇の被害者になることができた。
ただただ「なぜこんなことに」と泣き喚き、彼らの知人も大いに同情したことだろう。
もちろん、自分たちこそが最大の加害者だとは一生思い至るまい。

それがどうだ。

俺は100万を超える借金をただ浪費によって作り出し、仕事は勝手に休職、挙句の果てには「誰も俺の不幸を理解しない」とかいうヨタ話をブログに書いているのだ。

俺の弟や父親はそんなクソ野郎の連帯保証人なのだ。今俺が死ねば、どうなることか想像もしたくない。

なんということだろう。
状態は確実に悪化しているのである。
それも、他ならぬ自分が悪化させたのである。

配属部署の上司にモラハラを食らったわけでもない。
偶然に遭遇した詐欺師に全財産を奪われたとかでもない。
親は俺を田舎の農家に軟禁するどころか、俺の可能性にかけて一度は失敗した関東での一人暮らしという環境を再び俺に与えてくれた。

何一つとして、客観的に明らかな「不幸」はなかったのだ。

すべて俺が悪い。

なお、万が一俺よりも「愚かな」人間がこのブログを読んでいたら、どうか、「このブログの理屈にしたがって、比較的被害の少ない今のうちに自殺する」ことだけは、思いとどまっていただきたい。

俺は、あなたの死にたさを刺激するために書いたわけではないのだ。
俺が討ち果たすべきは、もっと別の人間なのだ。

俺は、あなたのような人の癒やしになりたかった。